ゴジラについて その2(ゴジラ以外も編)

自分語りのつづき。ゴジラシリーズ以外について能書きをたれます。

さて、「ゴジラvsデストロイア」でゴジラが華々しく死んだ直後に良くわからない復活を遂げたり、上映後に「来年からはモスラをやりますよ、よろしくね!」的なサプライズCMで色々と台無しにされた瞬間からすこし時代はさかのぼる。

1995年。ゴジラマガジン上で絶賛されていた怪獣映画があった。
「ガメラ 大怪獣空中決戦」
ガメラシリーズにまったく興味のなかったドリル少年は、当然この映画を映画館で見ていない。
仕方なくレンタル屋で借りてきて、初代「ゴジラ」を見たのと同じ14インチのテレビで見た。
……面白かった。特に音楽の使い方が良かった。ストーリーは過去の怪獣映画のいいとこ取りをしている感じだけど、悪くない。
あと、怪獣対決の決着の着き方がとにかく分かりやすい。ラストの対決なんて、まるで「用心棒」と「椿三十郎」じゃないか。カッコいい。
このガメラもLD-BOXを買って、福岡ドームにガメラ襲来~ギャオス逃げ去るあたりのシーンを何度もリピート再生することになる。

同年、今もシリーズが続いている化け物アニメが登場する。
「新世紀エヴァンゲリオン」である。
テレビシリーズ前半は本当に面白かった。怪獣映画さながらのカッチョ良い映像と音楽、畳み掛けるような展開の早さ、30分番組とは思えない密度。
友人がビデオに撮っていたのをドリル少年の家に友人数人が集まって見ていたのだけど、「え?今ので一話分?映画一本くらい見てるかと思った!」とビデオもってきた人以外の全員が驚くほどだった。
その時に4話か5話くらいまで見せてもらって、それ以降は自分で録画して見ていた。
しかし、テレビシリーズが後半にさしかかり、ドリル少年は冷めていった。
どんどんカッチョ良いシーンが減って、縦線と横線が会話するだけのシーンとか、台本そのまま撮っただけにしか見えない次回予告とか、訳の分からないシーンが増えていって、挙句にあの最終回。
大風呂敷を広げるだけ広げて畳まない製作者が存在する、というのをこの時に初めて知った。
社会現象になんかならなくていいから、もっとおもしろいものを見せて欲しかった。

96年。エヴァンゲリオンのテレビシリーズが終わる頃に雑誌「宇宙船」に吉報が載る。
夏に「ガメラ2 レギオン襲来」が公開されるというのだ。
前売り券を買い、メイキングのビデオを買い、前売り券の特典が代わったと言われてまた買い……
いくらなんでも気分が盛り上がりすぎた。これで映画本編がアレだったらどうしよう。
公開当日、ガメラ2本編の前にとあるハリウッド映画の予告編が流れていた。
「インデペンデンス・デイ」
めちゃくちゃ面白そうじゃねえかこの映画!うわーこれから見るガメラ2、この予告編の後だと見劣りするんじゃ……

そんな心配をよそに、ガメラ2は大傑作だった。

ガメラと人間の共闘が最高に燃える、「ゴジラvsビオランテ」をよりリアルに、より熱くしたような素晴らしい出来だった。
こんなに映画館に何回も見に行った映画は他に無いし、怪獣映画でこれを超えるものにはまだ出会えていない。

アメリカ公開から遅れること5ヶ月、年末にインデペンデンス・デイは公開された。されたのだが。
予告でもやっていた、超巨大UFOのホワイトハウス爆破。
「奴等がチェックメイトを」
UFO降臨を待望していた人達も容赦なく抹殺。
小型UFO対戦闘機のドッグファイト。
そう、最初の30分くらいはすごく面白かったのだ。
その辺がこの映画のピークであり、後はエイリアンを殴って気絶させる、エリア51がどーのとため息しか出なくなるような展開が続き、最終的にはマッキントッシュで解決……「宇宙戦争」(1953)の現代版リメイクと考えても無茶だろうそれ。
なんなんだろうこの監督。なんでこんないくらでも面白くなりそうなネタを、あんな酷い映画にできるんだ。
まさかこのインデペンデンス・デイの監督、ローランド・エメリッヒの次回作がマグロ食ってる奴こと「GODZILLA」(1998)になるとは、当時のドリル少年は知る由もなかった。

明けて97年。
インデペンデンス・デイ・ショック冷めやらぬ中、例によって雑誌「宇宙船」を読んでいたドリル少年、いやドリル青年はここである映画の記事に偶然出会う。
その映画には「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスや、「バットマン」のジャック・ニコルソン、「レオン」のナタリー・ポートマンが出演しているという。
監督は「バットマン」「シザーハンズ」のティム・バートン。
映画のタイトルは「マーズ・アタック!」。

オープニングで、ダニー・エルフマンのいかにもB級SFチックなBGMをバックにUFOが隊列を組んで飛ぶシーンを見た途端、ドリル青年はサントラとLDとプロジェクターの購入を決めた(そしてその年の12月に実行された)。
思いがけないゴジラ(しかもお気に入りの「vsビオランテ」のゴジラ!)との再会に、映画館で爆笑した。
アタック・オブ・ザ・キラートマト」や「怪獣大戦争」を思わせるラストは最高だった。
こうしてドリル青年はティム・バートンにもハマる。

その直後、春と夏にエヴァンゲリオンの劇場版公開。
客に悪意を向ける映画監督が存在する、という事実に呆然とした。後にも先にも、あれほどポカーンとして映画館を出たことはない。
後の新劇場版は序だけ友人の家で見せてもらったが、破もQも(ついでに巨神兵も)見ていない。

98年。ローランド・エメリッヒ監督によるハリウッド版「GODZILLA」公開。
「ゴジラじゃねえ、ジュラシック・パークだこれ」「ティム・バートンに撮らせろよ」という感想しか浮かばなかった。

同年。「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」は試写会にハガキを何十通も出してまで見に行ったが、映画本編よりも舞台挨拶で出てきた前田愛が最高にかわいいというのが一番印象に残っているあたり、なんというか、自分の事ながら書いててどうかと思う。
いや、実際のところ、ガメラ3は2ほど好きにはなれなかった。
確かに映像はガメラ1とは比べ物にならないほど綺麗になった。特撮シーンの迫力も素晴らしい。
特にギャオスの飛行シーンは1にも3も出てくるから特に比較がしやすい。本当にこの数年で映像技術はものすごく上がったのだな、と思わせるに足る美しさだ。
しかし、もっとこう、スッキリ終わらせてくれよ。1も2もそうだったのに、なんでここでいきなり方向転換するの?
金子監督や前田愛ちゃん、中山忍さんは上映前の舞台挨拶で喝采を浴びていたが、この舞台挨拶が上映直後に行われていたとしたら、喝采とは違う対応を受けていただろう。
それくらい上映終了後の会場は「は?今ので終わり?」という呆然とした雰囲気に包まれていた。
「やっぱりガメラ1が一番おもしろかったなあ」と、試写会終了後のお手洗いで耳にした。そうだね、俺は2の方が好きだけど、同じ気分だったよ。

エヴァ以降、ゲームもアニメも映画も、ハッピーエンドでスッキリ終わらせるのがダサい、みたいな考え方が流行ってたのだろうか。
もちろんそれ以前にも実写映画だったら「日本沈没」だとか、アニメだったら「伝説巨神イデオン」だとか、ただのハッピーエンドでは終わらない作品は存在していたし、他ならぬ初代「ゴジラ」だって、ラストは重苦しい雰囲気だった。
確かにそうなのだが。

その翌年、1999年にゴジラシリーズは復活する。


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