ゴジラをネタにした自分語り、まだまだ続くよ!
ゴジラ復活作は地味になる法則でも存在するのだろうか。
「ゴジラの逆襲」(1955)も復活「ゴジラ」(1984)も地味な映画だった。
再復活した「ゴジラ2000 ミレニアム」(1999)もやはり地味な映画だった。
敵怪獣、いましたか?というほど印象に残っていない。(まだ阿部寛の方が印象が強い)
ラストは新宿のど真ん中でゴジラが大暴れしたままスタッフロールというものすごい投げっぱなしっぷり。これはこれで嫌いではないけど……次いったいどうするのこれ。
次をどうしたのかというと、毎回リセットするという荒業が行われた。
- ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000)
- 初代ゴジラは倒せていない。
1954年以降も何回かゴジラは日本を襲っている、という設定でリセット。 - ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)
- 初代ゴジラをどうやって倒したのかは軍の最高機密(表向きは通常兵器で倒したことになっている)。
本作のゴジラは2体目、1954年以来初の襲撃、という設定でリセット。 - ゴジラ×メカゴジラ(2002)、ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003)
- この2作だけ続き物。
- 初代ゴジラは倒されたが、骨は溶けずに残っている
- 本作のゴジラは2体目、1954以来初(及び2度目、3度目)の襲来
- ゴジラ以外の東宝映画に出てくる怪獣、つまり「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966)のサンダとガイラや「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)のカメーバなどは現れている
……という大変ややこしい設定でリセット。
- ゴジラ FINAL WARS」(2004)
- 最終作。初代ゴジラを南極の氷塊に閉じ込めている、という設定でリセット。
ミレニアムシリーズと呼ばれるこのシリーズは、ほぼ全作品が初代ゴジラはどうにかしたけどまた新たに襲ってきました、前作までの事は忘れて下さい→はい、アクションという始まり方だった。
(ラストはだいたい「完全には死んでませんでした」という、続きを作っても作らなくてもいいオチになる)
これを「シリーズ」と呼んでいいものかどうかは分からない。
特別印象に残っているものだけを挙げていこう。
2001年の「大怪獣総攻撃」は平成ガメラ三部作の金子修介監督がゴジラを撮る、ということで話題になった。「怖いゴジラ」というイメージで原点回帰を図っている。
ドリル青年にとってはストーリーは二の次で、ゴジラの凶悪さやものすごい強さ、という部分が良かった。
最初のゴジラ対バラゴン戦は山中が舞台となるが、ゴジラの放射熱線が吐かれると、この山肌がガンガン破壊されていくのだ。
平成vsシリーズで不満だった部分。つまり「ビーム的なモノが吐かれる→火花が散る」から、「質量のある熱線が吐かれる→熱線に当たったものは吹っ飛び、破壊される」に変わっているのだ。この部分がとても良い。
ここでゴジラの熱線の破壊力がちゃんと描かれているからこそ、後半で「モスラがギドラの盾になって、ゴジラの熱線を防ぐ」「パワーアップしたギドラには熱線が効かないどころか、跳ね返される」というシーンが説得力を持ってくる。
ギドラの首が短いという指摘をよく耳にしたが、ドリル青年は人に言われるまで気にならなかった。RPGのラストバトル風に、みんなの力でどんどんパワーアップするギドラ、というのが面白かったのでそっちにしか気が回ってなかった。
(このパワーアップの過程は、「vsメカゴジラ」でのラドンとゴジラの関係に似ている)
2004年の「FINAL WARS」は、北村龍平が監督をつとめた「楽しいゴジラ」だ。
「VERSUS」(2001)でゾンビにカンフーや銃火器での殺し合いをさせ、「あずみ」(2003)でカメラを縦にぐるんぐるん回転させたケレン味の塊、北村龍平である。
「キングコング対ゴジラ」(1962)のような楽しさの中で、「怪獣大戦争」(1965)のX星人が襲ってきて、「怪獣総進撃」(1968)ばりに怪獣がどんどこでてくるお祭り映画だ。轟天号や妖星ゴラスといった要素も出てくる。
「今更『ターミネーター』と『マトリックス』かよ!」と言いたくなるようなアクションシーンには目をつぶるとして、無駄にカッコいいガイガン(第二形態まである!)や、世界各国で暴れまくる怪獣たち、月夜に吠えるラドン、ついに宇宙にまで届くゴジラの放射熱線、などなど。本当に楽しい怪獣映画だった。
そしてこの「FINAL WARS」でゴジラシリーズは終わった。
「FINAL WARS」ラストでゴジラとミニラが帰っていった海、東宝名物の大プールは解体された。
今のところ国内でゴジラが復活する気配はない。