今年6月、宝塚歌劇のベルサイユのばらを見てきました。ヅカでベルばら、ベタですな。
んで、10月。文楽の地方公演が来てたので見に行ってきました。演目は心中もの(曽根崎心中)に義経もの(義経千本桜より道行初音旅)、これまたベタベタのド定番のようです。
会場の芸術創造センターはかなり古めかしい建物で、エレベーター/エスカレーターはなく、階段のみというスパルタンな環境。見にきているお客さんはやっぱりじーさまばーさまが多いんだけど、あの階段の数はかなりキツいのでは……俺もちょっと膝悪くしてるんで、ちとキツかったです。
パンフレットは700円。映画のパンフと同じくらいですが、情報量がまるで違います。
ストーリーは最初から最後まで全部書いてあるわ、人形遣いの人から義太夫、三味線の演奏まで、舞台ごとにキャスティングが細かく書いてあるわという濃厚な代物。
さらには外国人向けに、英語であらすじが書かれたページまで。至れり尽くせりです。
Shizuka-GozenがBrother Yoritomoから逃れたYoshitsuneのtravellingにjoinしようとするのをescortするTadanobu(fox-spirit)。
ヘイメーン、チェケラウ(書いてない)。
文楽は歌劇や映画などと違い、演目が始まっても客席照明が落とされません。パンフ読みながら舞台を見る方も多いんでしょうね。
東京の国立劇場・大阪の国立文楽劇場ではレンタルの音声ガイドもあるらしいんですが、名古屋は地方公演なので、そういうものはありません。
後付けで地方公演用の字幕出す装置はありましたが、字幕は古文調に「ナウ初様」(「ねえ、初音さん」くらいの意味)とか出てくるので正確な意味はよくわかりません。そこはフィーリングでなんとか。
人形の動きは本当にすごい。
主役級の人形はもちろんのこと、天満屋のシーンで脇の方にいる遊女のしぐさは、キセル吸ってるだけなのに「実はこれ命宿ってんだろ!呪いのデーボのスタンドみたいに」などと考えたほうが、まだ納得できそうなほどの生々しさ。
これ多分、カメラ越しでは伝わらないと思う。生じゃないと。
曾根崎心中は三幕構成。生玉社前の段と天満屋の段は語りの人(太夫)と三味線の人が1人ずつですが、ラストの天神森の段は太夫が3人、三味線が4人と一気に増えます。
太夫はセリフの掛け合いなどが多少ありますが、三味線はハモりなど別パートを弾くのではなく、ユニゾンです。ひょっとして、アンプとかそういうものがない時代に、ボリュームを出すための策だったんでしょうか。
生命のない人形を、あたかも生きているかのように巧みに操り、演じさせるのが心中……江戸時代の日本人どんだけ捻くれてたのか、少々心配になります。
内容はまあ、色んな事情があって結婚できない男女が、せめて来世だかあの世だかで一緒になりましょう。さあ、いざ心中……みたいな感じのアレなので、正直、あんまり好きな話じゃない。心中して幕。拍手ってどうなんだよそれ。
しかしまあ、いつの時代もどこの国も、流行るのは色恋沙汰と生命に関わる話なんですね。あんまちゃんと知らないですが、ロミオとジュリエットもそんなよーな話だし(けいおん!!で得た知識)。
義経千本桜の道行初音旅の方は、主人公は義経ではなく静御前で、キツネと一緒に踊りますという、古典芸能というよりはおかあさんといっしょとかみんなのうたでやるような内容じゃねえのかソレと言いたくなるような感じのもの。
義経千本桜は一幕。最初から太夫も三味線もフル動員です。
ストーリーというストーリーはなく、三味線・語り・足音の奏でるリズムに合わせて滑らかに踊る人形2体を見ているだけで、軽くトランス状態入りました。
語りの人がなにを言っているのか、字幕にはなんと出ているのか、そんなものはもうどうでも良くて、ただただ音楽に合わせて踊る人形を見るのに夢中になっていました。
この日のメインは曾根崎心中のようで、義経千本桜が始まる前の休憩時間で帰っちゃったお客さんも結構いたようです。
生きるの死ぬのという心中を美化するような話よりも、単にすげーリズミカルに滑らかに踊る人形を見るだけの義経千本桜の方が私は面白かったなあ。
文楽人形は1体を3人(頭と右腕担当、左腕担当、足担当)で持ち上げています。歩いてるシーンとか見得を切るシーンは、足の動きに合わせて舞台をドンと踏んで足音を出します。
人形2体がケンカ、近くで1体があたふたしてるシーンでは、人形3体と操縦する人間9人が入り乱れるというすげえ状態になります。
さすがにそれをハタから見てる野次馬役の人形は1体1人で動かしてますが。
さて、上でも書きましたが、文楽で一番すごいと思ったのは、人形の動きの滑らかさです。
第一印象は人力バーチャファイター。(BGMは三味線に語りですから、どちらかというとサムライスピリッツかもだが)
最新のハイスペックなPCなら、どんなスゲー3DCGでも60fps,120fpsでキャラがぬるぬる動くぜ!なんてことを言いますが、何しろ文楽人形は目の前で生で動いてるので、フレームも何も自分の目の性能限界まで滑らかです。
えーと、ここまで好き勝手書いといて何ですが、このあともっと好き勝手書くので、マジメに文楽の話を読みたい人はこちらのWEBコミックを読まれるとよろしいかと。
でしにっき | 34. はじめての文楽 | 上島カンナ – comico
元々私が文楽見に行こうと思ったのも、このコミックの影響ですし。
操縦者が持ち上げてるので、当然人形は浮いている状態です。
……ずっと部空術使ってるようなもんなんだから、演目としてドラゴンボールZとかやればいいんじゃないの?とか、割と本気で思いました。
んで、その私のたわ言(文楽人形でドラゴンボールZ)を本気でやってるというか、いわば文楽を「継承」しているのが、ゴジラやウルトラマンなどの特撮モノなのではないかと。キングギドラの首やジェットビートルの操演(棒とピアノ線で釣るアレ)なんかは特にそう見えます。
どのあたりが継承なのか。それはなんといってもキャラクターの動きの連続性です。
モノクロの時代の「キングコング」など、ストップモーションアニメにはあまり連続性が感じられません。
比較的最近のナイトメア・ビフォア・クリスマスやコープスブライド、フランケンウィニー(例えがティムバートンばっかりだ)あたりまでくればそれなりに動きが滑らかではありますが、着ぐるみなりワイヤー操作なりが実際に動いてるのとはやっぱり滑らかっぷりが違うんですよ。
もっとも、映画自体もつまるところはフィルムのコマとコマの間は存在するわけで(例えば、三船敏郎の殺陣は速すぎてフィルムに映らなかった、という伝説があります)、本当の連続性をみるには、生で見られるものを選ぶしか無いんですが。
それが見られるのって、特撮の撮影現場の見学という例外を除いたら、文楽しかない気がするんですよね。劇とかバレエ、歌舞伎やサーカスなんかはそれはそれで単独ですごいものではあるんだと思いますが、あくまで人間の動きであって、命のないはずのものが生き生きと動く、というものではないですし。
石黒博士の本に出てきた「ロボット演劇」も、ある意味で文楽の後継者かもしれないですね。
話が明後日の方向に飛んで行ったので軌道修正。
観客は年配の方がほとんどなんですが、高校生らしき四人組がいたのはかなり意外だった。幕間にロビーで、間に合わなかった友人と思しき人と、「そうそう、今曽根崎心中終わったとこー」などと電話しておりました。
案外と裾野広いな、文楽。
ちなみに曽根崎心中は三幕構成ですが、休憩は一幕と二幕の間のみで、二幕三幕の間には休憩無しです。三幕が終わったところで二度目の休憩が入り、義経千本桜となります。
落語やクラシックのコンサートもそうなんですが、途中休憩が入るのはありがたいシステムです。
ほら、おっさんだからトイレ近いんですよ。今、タイタニック級の長尺映画見に行ったら、2回はトイレ行くぞ。
文楽を見に行ってみたいと思ったのは先ほどリンクを張ったコミックの影響もありますが、日本におけるロボット文化の元祖だから、というのも大きいです。
文楽と言えば操り人形。すなわち、リボルテックやFigmaを始めとするアクションフィギュア、ToHeartのマルチや、HONDAのアシモのようなアンドロイド、初音ミクなどのボーカロイド(というよりMikuMikuDanceか)の遠い先祖のようなもんです。
お茶汲みのからくり人形も先祖ではありますが、ありゃドムのようなホバーリング移動するだけで他の部分は可動しないですからね。ちょっと方向性違います。
……ここまでの文章だとベタ褒めしてるようですが、二階席でチケット発券手数料込みで約3,000円という比較的リーズナブルな価格にも関わらず、これならIMAX3Dの派手な映画観るわ、と思ったのもまた確かな訳でして。
単純に面白かったですか?と聞かれたら「興味深いものを見せて頂きました。機会があればまた」というようなジャパニーズ玉虫色回答をします。
出世景清という、ナムコの往年の名作ゲーム「源平討魔伝」の元になった話は歌舞伎や文楽の演目なのですが、それを地方公演でやってくれるなら見てみようかなあ、という感じです。
なお、出世景清も曽根崎心中も近松門左衛門の作品。どんだけベストセラー作家だったんだ。