かしぶち哲郎さんの訃報を聞いて考えたこと

ムーンライダーズで一番好きな曲は、作詞・作曲ともかしぶち哲郎が手がけている「プラトーの日々」だ。
最初に聴いたアルバムが『最後の晩餐』で、友人に借りたCDを何回も何回も聴いて、いつの間にか大好きな曲になっていた。
イントロの張り詰めたようなストリングスに、心の中の叫びをそのまま文章にしたような緊張感のある歌詞、メロディ、本当にカッコ良い歌だと今でも思う。

ムーンライダーズの他のアルバムにも手を伸ばしている内に、ちょうどかしぶち哲郎のソロアルバム『fin~めぐり逢い~』が出ていて、それも聴いた。
ムーンライダーズで見せる顔とはまた別の、洒落た大人の音楽がそこに収められていた。
俺は子供の頃から寺尾聰の『リフレクションズ』が大好きで、保育園の中で「ルビーの指環」を歌っていたりしたのだが(イヤなガキだ)、その寺尾聰の方向性とも似ているような、大人っぽい、ちょっとエロい音楽もまた好きになった。

ムーンライダーズのライブには三回行った。
『ムーンライダーズの夜』の時。20周年の時。そして、活動休止が決まった後の『Ciao!』の時だ。
かしぶちさんはいつだって、メンバーの中で一番もの静かで、落ち着いていて、ミステリアスで、紳士な人に見えた。
ムーンライダーズの新譜が出る時の楽しみの半分くらいは、かしぶちさんの新しい音楽が聴けることへの楽しみだったと思う。

かしぶちさんの訃報を聞いた日、「プラトーの日々」を聴き、「D/P」を聴き、『fin~めぐり逢い~』を聴き、『ル・グラン』を聴き、『Ciao!』を聴いた。
聴いていてふと気づいた。俺とかしぶちさんの関係は、かしぶちさんの作った音楽を俺がこうやって聴いている、というところから始まって、かしぶちさんが亡くなったところで、この関係は何一つ変わっていない。
CDを再生すれば(あるいはmp3やaac、YouTubeだっていい)いつだってかしぶちさんには会えるのだ。
Twitterでかしぶちさんの訃報を知り、悲しむ声の中で、かしぶちさんはこんな作品にも関わっていた、こんな音楽も作っていた、というツイートを見た。
俺もかしぶち哲郎監修のドラム教則本の表紙を写真に撮ってアップしたり、『コンパイラ』というマンガのドラマCDにかしぶちさんを含むムーンライダーズのメンバーが参加していることを書いたりした。
プログレまわりの音楽などにものすごく詳しい方から「それ(コンパイラ)に関わっているのは知らなかった」というありがたいリプライも頂いた。
なんだか、かしぶちさんが亡くなる前より、俺の中でかしぶちさんの濃度は増している。

確かにかしぶちさんは亡くなった。それは事実で、彼の新曲を聴くことはもうない。ムーンライダーズが新曲を出すことも、恐らくはもうない。
しかし、俺自身、かしぶちさんやムーンライダーズの影響を受けてこんな文章を書いているわけだし、彼らの影響を受けて新しい音楽を作っている人だって山ほどいる。
その人たちが新しく音楽でも文章でもなんでも作って、それに影響を受ける人たちがいて……以下延々とこの流れは止まることはない。
かしぶち哲郎という人がいたことによる影響は消えない。
ムーンライダーズはくたばらないし、ミュージックはノンストップだし、ストーンズはローリングし続けるし、ロックンロールは鳴り止まない。
バラがなくちゃ生きていけないが、彼が俺の心の中に残してくれたバラはずっと消えない。


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